まぐろの資源評価結果について、研究者間で意見が異なって、収拾のつかない論争になる事がある。どの研究分野でも科学論争は起きるが、まぐろ資源の評価結果が異なった場合は、簡単に決着をつけることはできない。それは、資源評価に関する不確実性が大きいためである。漁獲統計等を使って資源評価をするが、漁業に関する統計はかなり不正確で、規制が厳しくなると、虚偽報告もあったりする。さらに、まぐろ類の分布はとてつもなく広く、資源全体の動向をつかむ事は困難であり、どの資源評価にも不確実性が残る。それで、論争になったりするわけである。私の印象に残る科学論争を取り上げ、科学者も苦労が多いことを紹介したい。
1980年頃にあった大西洋のクロマグロをめぐる論争である。大西洋のクロマグロ資源、特に米加が漁獲している西大西洋の資源が急速に悪化しているとして、米国は資源の絶滅を防ぐために、西大西洋のクロマグロの全面禁漁が必要という論文を出してきた。これに対して、日本は、クロマグロ資源は東と西の大西洋で互いに交じり合っていて、西の資源だけを切り離して評価できない事、広い海域をカバーして操業している延縄のデータでは、資源が絶滅するような兆候は認めなれない事などから、この資源評価は誤っていると主張した。しかし、米国は、強引に西大西洋を全面禁漁する規制
を採択させた。ところがその次の年に、日本がこの規制の元になった論文は誤りで、今まで通りの漁獲で資源的に問題ないという論文を出した。米国も持論を擁護する論文を出したが、日本の論文の方が全体の支持を得、1年で、結論がひっくり返ったわけである。なぜこのような事が起こるのかは、先に述べた資源評価の不確実性によるわけであるが、会議のやり方が今と昔では違うこともある。 当時は、計算機の普及がまだ遅れていて、会議に出した論文がすべてであり、いくらこのやり方はここがおかしいと指摘しても、簡単に会議中に計算をやり直す事はできなかった。つまり、強引であっても相手がそれに対抗する論文を出せなかったりすると、一発勝負で、物事が決まる事が可能であったわけである。今では、会議中に皆で協議の上計算機を使って計算を進めるので、このような事はまず起きない。大西洋のクロマグロ資源評価はいまだに、不明なところが多いが、その後のデータの蓄積から、どうやら、日本の主張の方が正しかったようである。
それにしても、バッサリとアメリカにやられた時は、敗北の張本人であるだけに、落ち込んだが、周りの人たちに励まされたり助けられて、気を取り直した。その次の年も、前の年の借りは返したものの、会議は大変であった。会議中はもちろん、会議後は、日米加の三国から、研究者各1人だけを出して、3人のみでホテルの一室にこもり、規制の勧告案を含む報告書を朝方まで、数日かけて作り上げなければならなかった。当然、米加の研究者は私の意見とは全く異なるわけで、2対1で形勢不利な上に、英語で討論するわけである。互いに怒鳴りあったり、相手が最後に形勢が悪くなって泣き落としに出たりすることもあった。そのため、この作業中隣の部屋の宿泊人である事務局職員からうるさくて朝まで寝られないと文句を言われたりした。この修羅場を如何して超えられたかは、一に自分の主張が正しいという確信を持ち続けられた事にあると思う。面白いもので、推察が正しいと、次々とそれを支持するデータを見つける事ができる。ただし、残念ながら、このような事はめったにない。この経験をした後、過激な論文に出くわしても、たいして驚かなくなったし、完全に見える論文でも、真に優れた論文でないかぎり、データや解析法にいくつかの問題があると思うようになった。
そんなわけで、苦労も役立つと思っている。それでも、もう一度国際会議でやり合う気があるかと問われれば、答えは、もちろんNoである。
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